暮らしの武将

暮らしや仕事に役立つ戦国武将の知恵やエピソードをご紹介いたします。

贈り物をいただいたら

こんにちは。
サエモンノ輔でござる。

 

結婚祝い、新築祝い、出産祝い、誕生日etc…人生には折々に触れプレゼントをいただく機会がありますよね。

あなたはちゃんとそのお返しをしていますか?

いやいやその前に。
いただいたそのプレゼント、
一体どんな価値があるものなのかをちゃんと調べていますか?

その価値を知らずにお返しをしてしまうと、
とんでもない事になってしまうかも知れませんよ。

 

そう、彼のように。

 

彼の名前は北条氏政

氏政は小田原に本拠を持つ北条氏の四代目の当主です。
戦っては、上杉謙信武田信玄徳川家康といった超A級戦国武将と渡り合いながら、関東一円に勢力を拡大。
領国経営にいたっては、
低税率で年貢を設定し、
時には自ら畑仕事に従事する事もあったという領民思いの大名。

どうです?なかなかの名将・名君だと思いませんか?

 

ではなぜ、それほど有名ではないのか?
いやいや実は氏政。違う評判で有名なのです。

 

それは、
先々を見越せず豊臣秀吉に負けた凡将
というもの。

先祖の誰よりも領土を広げ領民からも慕われたのに、
後世の評判は、
「関東で意地を張って秀吉の大きさを見誤るなんて、なんと愚かな大名なんだ。」
という散々な氏政。

そんな悪評を後世に残す事になってしまう遠因となったエピソードをご紹介します。

 

氏政が徳川家康と同盟関係にあった頃の話です。
当時の状況は、
西では豊臣秀吉が着々と日本統一に向けて準備をしており、
東国の大大名・家康と氏政は協力して秀吉にそなえなければ…という時期です。
そんな折り、家康から氏政へ南蛮からの輸入品で珍品だったオレンジが贈られてきます。
ところが氏政は、
それをよく似ている日本の橙と勘違い。
「なんだ、徳川は橙が珍しいのか?それならもっと沢山送ってやれ」
と、橙を大量に送り返したそうな、
めでたしめでたし…って、オイ!

そりゃないよ氏政。
だってオレンジだよ?
鏡餅の上にのってたら違和感あるでしょう⁉︎
百歩譲って、オレンジを橙と間違っていたとしたって、
お返しに同じ橙を送っちゃダメでしょう〜。
「橙くらいうちにもあるぜ。珍しくもないぜ。」
っていってるようなもんだよ⁉︎
これから徳川と仲良くやっていかなきゃいけない時なのに、相手の顔に泥を塗ってどうすんのさ〜。

 

案の定、
家康は氏政の事を、
「物の価値が分からず、人の意図を理解できない奴だ…」と嘆き、
北条との同盟関係を見直します。

結局氏政は、
徳川家康という協力な同盟者をなくし、
豊臣秀吉に単独で戦うことになり、
滅亡への道を進む事になってしまいます。

 

さて、皆さんはいかがですか?

上司の出張土産が、
実は有名な老舗のお菓子だったりしてませんか?

ママ友からのお裾分け、
実はブランドフルーツだったりしてませんか?

いただき物をしたり、何かしてもらった際は、その価値をしっかりと見定めて、キッチリお礼・お返しをしましょうね。

でないと、あなたの今後の評価が大きく変わることになりかねませんよ…。


北条 氏政(ほうじょう・うじまさ)
1538〜1590
後北条氏四代目当主。
関東一円に勢力を広げるも、
豊臣秀吉によって滅ぼされる。
なかなか結論のでない会議の事を「小田原評定」というが、これは秀吉に攻められた際に決戦か降伏か決められなかった氏政に由来する。

 

次回更新は11月27日予定です。

 

出世したい

サラリーマンたるものやっぱり出世はしたいですよね。
では、出世する人ってどんな人なんでしょう。

仕事が出来る人?
意識の高い人?
論理的思考が出来る人?

今日はその答えの一つを教えてくれる戦国武将をご紹介したいと思います。

彼の名前は
田中 吉政

近江国(現在の滋賀県)の普通の農民から、
筑後(福岡県南部)一国32万石の国持ち大名にまで出世した武将です。

さぞかし素晴らしい武功があると思うでしょ?
ところがこの吉政、
戦況が不利になるとみるや、
目下の役廻りである伝令のふりをして、
後方へ逃走を計るというせこい手段を平気で使う男なのです。

周りにもいませんか?
いざお会計となると必ずトイレに行って帰ってこない人。
スケールは違いますが、
そんなタイプですね。

ではなぜそんな男が農民から大名にまで出世できたのか。

それは、
誰からも愛された人だったから。
だと、私は思います。

どうやら吉政は、
あまり物事にこだわらない闊達な人柄で、
そのうえ素直な人物だったようです。

たとえば、
侍になるために羽織袴を紺屋に作らせた時の話。
紺屋は本来の家紋とは左右逆に染めてしまった。
吉政は怒るでもなく、逆のまま家紋にしてしまったり・・・

まだ足軽身分の時代に、
枡を枕に昼寝をしていると、
傍らの盲人から
「これから一国一城の主になろうという人が、
大切な米を量る枡を枕にするとは何事か!」と叱られれば、
よくぞ叱ってくれたと御礼をしたり・・・

5万石の領主になってからも、
城下の見回りの中に空腹になると、
城から弁当を届けさせ、
領民と一緒に道端で食べたり・・・

そんなところが身分の上下を問わず誰からも愛されたのでしょう。

なにしろ、
関ヶ原の合戦で敗れ、逃亡中の石田三成が吉政に捕まった時に、
「同じ捕まるのならば、お前に捕まって良かった。」
と言ったくらいの愛されキャラなのですよ。

どんなに仕事が出来ても、
周りに足を引っ張られては成果は上がりませんよね。
上司、同僚、部下から愛され、
多少の失敗ならカバーしてもらえるような人柄。
これが出世する人の条件なのではないかと思うわけです。

実は、
枡の話には後日談があります。
吉政が筑後の大大名となり、入国した時の事。
集まった群衆の中に彼の盲人を発見。
再会を喜んだ吉政は、
盲人を検校(盲人の方に与えられる最高官位)として召しだし、
晩年まで面倒をみたそうです。
めでたしめでたし。

 

次回の更新は11月13日予定です。