暮らしの武将

暮らしや仕事に役立つ戦国武将の知恵やエピソードをご紹介いたします。

人生いろいろ

こんにちは。
サエモンノ輔でござる。

アメリカではトランプ大統領が正式に誕生しました。その言動はお世辞にも人格者とは言えませんが、権力者として認められてしまうんですね。いやはや、人生分からないものです。

今日はそんな人生色々だなあ…というお話を。

主人公の名前は今川氏真
足利将軍家一門の中でも名門・今川家の12代当主で、駿河(現在の静岡県)の守護大名だった人物です。今でいうスーパーセレブですね。
しかも、彼はただのスーパーセレブじゃありませんでした。非常に才能溢れる人物だったのです。
和歌を詠めば時の天皇からその才能を認められ、蹴鞠をすれば時の権力者の前で華麗に披露。さらに剣術は、剣聖塚原卜伝の弟子として免許皆伝を許されたという達人。
こんな文武両道を極める氏真ですから、さぞかし名将としての功績があるのだろうと思うでしょ?ところが氏真、日本三大「凡将」や「ダメ息子」として名を残す男なんです。

彼のお父さんは今川義元
義元は、今でこそ桶狭間織田信長に討ち取られたダメ武将みたいなイメージですが、今川仮名目録という独自の法律を整備したり、戦をすれば近隣大名から「東海道一の弓取り」と呼ばれる程の戦上手で、超A級戦国大名だったのです。

そんなカリスマお父さんの庇護の元、氏真は芸事を極めていたのですが、桶狭間の戦いで父義元が織田信長に討ち取られてしまい、人生が一変します。
桶狭間の合戦後、氏真は父の弔い合戦もできずにオロオロしている間に隣国のスーパー武将・武田信玄や、徳川家康に領地を奪われてしまいます。
領地を奪われた氏真は、奥さんの実家である関東の北条家に身を寄せます。しかし、ホッとしたのもつかの間。今度はこの北条家が武田信玄と同盟を結んでしまいました。関東を追放されてしまった氏真は、徳川家康の庇護を受ける事にします。
その後、氏真は京都で長い余生を過ごし77歳で亡くなりました。

多彩な才能を持っていても権力者としては成功しなかったんですね。
しかし、じゃあ氏真が悲惨な人生だったかというと、そんな事はないじゃないかと思うんです。
北条家から追放されたとき、奥さんは実家には残らず氏真について行きます。夫婦仲は円満で年老いても一緒だったそうです。
息子は徳川幕府の儀式や典礼を司る家柄である高家として栄えていきます。
怨みのような物からも解放されていた節があり、氏真が蹴鞠を披露した権力者とは父の仇織田信長の事です。

いかがですか?愛する妻とは支え合い、息子は立派に出世をし、怨みのような感情は切り捨て、趣味の和歌を詠んで暮らす日々。
これはこれで大成功の人生だったんじゃないですかね。

今川 氏真(いまがわ・うじざね)
1538〜1615
駿河国守護大名武田信玄徳川家康によって没落。後年、織田信長長篠の戦いに徳川軍として従軍し、信玄の息子勝頼討伐に参加していた事はあまり知られていない。