読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

暮らしの武将

暮らしや仕事に役立つ戦国武将の知恵やエピソードをご紹介いたします。

思い込みで損してませんか?

思い込みや古い情報のせいで誤解してる事ってありますよね。厄介なのは、人間はその誤った知識に固執しがちだという事。自分が習った情報は絶対だと思うあまり、最新の知識や新しい情報を受け入れられないのはちょっともったいないですよね。

戦国武将にもいるんです。
過去の通説と、最新の評価が全く違う方が。

そのお方の名は今川義元

今川義元といえば、今大河ドラマ「おんな城主 直虎」での春風亭昇太さんの怪演が話題の武将です。
一般的には「織田信長の踏み台」みたいな印象が強いんじゃないでしょうか。
しかし、このお方の先進的な考えは決して信長に劣るものではありません。
一つは軍事制度。
義元は寄親寄子制という制度を採用します。従来の主従関係というのはほぼ対等で、大名は近隣豪族の盟主みたいな物でした。軍役も自由参加の色合いが強くて、勝てそうな戦には沢山の兵が集まりますが、負けそうな場合には集まらないというのが普通でした。なので、当時の大名は自分の兵数がどれだけ集まるかは当日にならないと分からないありさまだったようです。ところが義元の寄親寄子制はというと、常時大規模動員が可能でした。どういう制度なのかといいますと。まず有力家臣を寄親として、その下に地侍などの小規模家臣を寄子として複数配置します。寄親は日常様々な事から寄子を保護し、その代わりに寄子は戦時には寄親の元に駆けつけるという相互契約関係でした。これにより命令系統は義元→寄親→寄子とスムーズに伝わり、相互契約のおかげで動員兵数もコントロール出来るようになった訳です。つまり、僕たちが現在イメージする戦国大名の主従関係を作り上げたのが義元という訳です。

この組織の見事さが証明されたのは皮肉にも桶狭間で義元が討ち取られた時です。先鋒の精鋭部隊は寄親の指示の下、逃亡者を出す事なく本陣の救援に向かい、部隊が全滅するまで戦ったと言います。また、先に砦を占領していた部隊も、狼狽えて本国に退却するような事はなく、義元の命令を遵守し織田軍を追い払ったそうです。


もう一つの義元の先進性を表すのが今川仮名目録追加21条。これは義元のお父さんが制定した法律に21条の項目を追加した法律ですが、これには室町幕府を否定し独立を宣言したくだりがあります。この凄さはなかなか分かりにくいので、現在の組織で例えてみましょう。
義元以前の下克上で成り上がった戦国大名というのは、副知事や警察署長が知事を倒して自分が知事になるようなものです。そして、日本政府から新たに知事として認めてもらい、その威光で統治を行っていました。あくまで、政府あっての地方自治体という関係ですね。ところが義元は、静岡県知事が政府を見限って日本から独立すると宣言したわけです。義元はそれが可能なだけの法律を整備し、経済環境を整え、軍事能力を備えていたと名将だったのです。

 

では、なぜそんな名将が現在では多くの人に凡将の見本のように思われているのでしょうか。
僕は原因は2つあるんじゃないかと思うんです。
1つ目は織田信長人気です。
現在でも好きな歴史上の人物で常に上位にくる信長ですが、これは今に始まった事ではなくて、江戸の頃にはすでにヒーローでした。
必然的に信長最初の敵である義元は、かませ犬の役回りとなります。それも400年以上の間。そりゃ評価も低くなりますよね。
2つ目は現在との価値観の違いからくる思い込みです。資料に出てくる義元の描写は、武将なのにお歯黒や公家風の化粧をしていたとか、馬に乗らず輿で移動していたとか、貴族を保護して歌会なんかをしていたという公家かぶれな物が多くあります。いかにも弱そうって思うでしょ?でもこれ勘違いです。
例えばお歯黒や公家風の化粧。これは守護大名以上の名門大名にのみ許された特権階級のファッションだったそうです。今でいうとセレブがカリスマ美容師にカットしてもらうといったところでしょうか。ですから、一般人からすると憧れの対象だったわけです。
輿も同じです。足利将軍家から許された特別待遇の証でした。アメリカ大統領特別機みたいなもんですね。
貴族の保護は財力のある証拠ですから、アラブの石油王がサッカーチームを買い取るみたいなもんです。

こうして見ていくと、自分の価値観との違いや思い込みが原因で、随分と見え方が変わってくると思いませんか?
本当の事を見えなくしているのは、自分の思い込みなのかもしれませんね。


今川 義元(いまがわ・よしもと)
1519〜156
駿河遠江(現在の静岡県)の守護大名
数々の先進的な実績があるにも関わらず、最も有名な実績は「織田信長が世に出る踏み台」だったりする悲劇の武将。