暮らしの武将

暮らしや仕事に役立つ戦国武将の知恵やエピソードをご紹介いたします。

転職のススメ

こんにちはサエモンノ輔でござる。

春ですね。
今月から社会人となった方もいらっしゃると思います。今日はそんな新社会人の皆さまにお送りします。

よく、新入社員への訓示で、「石の上にも三年。三年は頑張って続けろ。」なんて言いますが、個人的には会社や仕事が合わないのならば、さっさと辞めてしまってもいいと思います。
人間って、なんだかんだと理由を考えては我慢出来てしまう生き物なので、たとえ会社と自分が本当にマッチしていなくても、辞めずに耐えてしまうんです。
でも、もっと自分に合う仕事や会社があるのならば、転職する方がずっと幸せになれるはず。

「我慢の先にこそ、価値ある物がある」という意見もあるでしょうが、生き生きと働ける仕事・会社を探す事も同じくらい価値がある事です。

そんな働きがいのある場所を探し、転職を続けた武将がいます。

その武将の名前は藤堂高虎
高虎は貧しい下級武士の生まれでしたが、2メートル近い巨体と人並み外れた力の持ち主で、その体格を活かし、14歳の頃には足軽として戦場で活躍していました。
しかし、主人や仲間に恵まれず、同僚と喧嘩をしては主人を変え、武功に対しての恩賞が少ないと言っては主人を変えるという事を繰り返していました。

そんな高虎に転機がやってきます。
5人目の主人・羽柴秀長豊臣秀吉の弟)に出会ったのです。
秀長は、それまで80石だった高虎を、いきなり300石で召し抱えます。
そして、戦場での槍働きを得意としていた高虎に対して、築城や領地経営などの大仕事をドンドン任せていきます。
高虎もその期待に応えるために努力を惜しみません。
ろくに字も書けなかった高虎が、城を築くための計算技術を身につけたと言いますから、その努力が並大抵ではなかったという事が分かりますよね。
やがて高虎は家老となり、秀長を支える様になります。

どうです?
トラブルメーカーだった人物が、環境が整う事で、こんなにも生き生きと働けるんです。
自分に合う場所を探す事って、とっても価値ある事だと思いませんか?

ただ、忘れてはいけないのは、大仕事を任せようと思わせるような日頃の仕事ぶりが高虎にあったという事。
次回は上司に仕事を任せたいと思わせる秘訣を、高虎から学んでいきたいと思います。

藤堂 高虎(とうどう・たかとら)
1556〜1630
上野恩賜公園墓所がある。
この東京の上野という地名、高虎が本拠地の伊賀上野に似ている事から名付けたと言う。(諸説あり)

 

次回更新は4月16日の予定です