暮らしの武将

暮らしや仕事に役立つ戦国武将の知恵やエピソードをご紹介いたします。

教育って難しい


こんにちはサエモンノ輔でござる。

受験シーズンも終わり、そろそろ合格発表の時期ですね。
頑張ってきた受験生や身内の方にとっては落ち着かない日々でしょうか。

 

今回はそんな方々に贈りたいと思います。

 

主人公は前回登場の今川義元と天下人徳川家康

徳川家康は9歳から18歳の間まで、今川家で人質として暮らしていました。
さぞかし肩身の狭い思いをしていたのだろうと思いきや、意外と自由に暮らしていたようです。
実はこの待遇は今川義元の家康に対しての教育方針が裏にあったからなんです。

義元は人質である家康の教育について、家臣にこう命じます。「むごい教育をしろ」と。
命じられた家臣は、粗末な食事と朝から晩まで休まずに武芸や勉学を仕込もうとしました。
ところが義元は「朝から晩まで贅沢な食事をさせよ。寝たいときはいつでも何処でも好きなだけ寝かせよ。勉学はしたくないならさせないでよい。大概の人間はこうすれば駄目になる。」と言ったそうです。
子供の頃から駄目人間に教育してしまおうという訳です。
今川義元恐るべし。
その策略が功を奏したのかどうかは分りませんが、人質時代の家康のエピソードには、殺生禁止のお寺の山で鷹狩りをしたいと駄々をこねて強行した話や、日頃から気に入らなかった家臣をいきなり縁側から蹴り落とすなんていう話があり、ワガママな癇癪持ちだったようです。

 

え?でも徳川家康は天下を取ったじゃないかって?

 

そうなんです。家康はこれで終わらなかったんです。この後、ありとあらゆる事を身につけていきます。
武芸は剣術、弓術、砲術馬術、水術を一流の域にまで体得。沢山の書物を読み込み、医術や生薬にも通じ、はては数学や幾何学までも勉強していたそうです。
この向上心があればこその天下人なんでしょうね。

 

ところで今川家ですが。義元の死後、嫡男氏真が跡を継ぎます。
氏真は蹴鞠が上手な愛妻家に成長しますが、武田信玄に滅ぼされてしまいます。
きっと義元から一流の教育を受けたはずなんですけどねー。

 

悪意を持って教育をされても天下を取れるし、一流の教育を受けても家を滅ぼしてしまうんですね。

希望の学校に入れようが入れなかろうが、環境が良かろうが悪かろうが、本人の努力いかんで道は拓けるんじゃないでしょうか。


徳川家康(とくがわ・いえやす)
1543〜1616
戦国三英傑の一人。
海道一の弓取りの異名を持つ。
様々なエピソードが神がっていて真実はよくわからないが、汚れても目立たないように黄ばんだ布で褌を作らせ、洗濯回数を減らしていたのは事実のようだ。

 

次回は3月5日更新予定です。